BBKY-weeekly

画文業・ばばかよが小4双子と暮らし流れゆく日々のなか、何かしら記していきます。

白杖の人と歩くふしぎ道路

f:id:bbky-zushi:20170928114515j:plain

図書館から「予約していらっしゃる方がお待ちなので、至急返却ください」と、延滞本返却督促の留守電が入っている。やばし。すでに数日返却が遅れなことをお許し願いたい。

急いで返しに行く本は「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」 という人気シリーズの児童書で、読んでみると大人にも面白い。うちは双子とわたしが読んでいるので、図書館1回の貸し出しで3名が読むことになる。

夕飯準備前、トレラン用リュックに「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」2冊をつっこんで自転車で図書館へ向かった。事故一歩手前のスピードが出てしまう急坂を降りて平坦な道路に出ると、左側の歩道を白杖をついて歩くカジュアルなファッションの老人が前方の視界に入った。白杖で道を確かめるカンカンという音が若干高いような気がする。白杖の先にたまたま落ちていた雑草のゴミが絡まる。5メートルくらい進んで雑草が自然取れたのを見守った後、手を貸せばいい話ではないかと気づいた。自転車を押したまま補助することは不可能である。わたしは老人を一旦追い抜いて空き地に自転車をそっと止めて待機した。

「もしお困りでしたら、駅の方向でしたら同じなので補助いかがですか?」歩いているふりで声をかけると、「あぁ、どうもありがとう。じゃお願いできますか」明るい声が返ってきた。

これまで電車内やバスでつかのま手を貸したことはあっても、道で視覚障害の方を道で誘導するのは初めて、と伝える。右手に白杖を持っているため老人が車道側になり、誘導者のわたしが車道側に行った方が良いのでは?と確認すると、このままで大丈夫と言われる。

白杖老人はラルフローレンのポニー刺繍が入った緑のポロシャツにチノパン、頭にはキャップという軽快なスタイルで、「誘導してもらえると早く歩けるからストレスが少ない」というコメントをいただく。

これまで白杖の方に声もかけられなかったことを自供すると、「声をかける方も勇気が要りますよね。その気持ちがわかるから僕は声をかけてくれる人には断らないことにしているんです」と返ってきた。白杖の人の懐の大きさよ! ボランティア酔いする自分をみっともないとか、自意識過剰だったアホなわたし。地面に注意を払いながら猛省す。老人は現在80歳で、もともとは見えていた状態から視覚を失ったため見えていた時の感覚も残っていて不自由なのだと明かしてくれた。目的地に到着するまでの学びは数え切れない。老人のおしゃべりにかすかに西のイントネーションが混じる。わたしが逗子に来てまだ5年で滋賀県育ちだと話すと、老人も逗子の前は大津に住んでいたとのことで奇遇さに盛り上がる。

にしても、逗子は道幅が狭い上に、アスファルトの経年劣化がひどく凸凹やひび割れが多い。道路舗装業で成り上がった中小企業の社長だった父の影響で、わたしは道路にはちとうるさい。

職業柄ならでは父の趣味は自社舗装した道路のドライブで、工事完了したばかりのおニューの道路へよく連れて行かれた。車で走行途中のある地点から〝お父さんが舗装した道路〟ゾーンに入る。タイヤが吸い付くようにスーッと車がすすむ。1メートル手前と走り心地が本当に違うのだ。またある日には別の会社が舗装したばかりの新道へ確認のためのドライブへ行く。興味深いことに、いくら新道でも父の道路には及ばない。

耳を澄ますように車のシート越しの尻を澄ますと、父の舗装した道路は無音に近い。特にベンツ愛好家だった父が一時期浮気したジャガー(車高が低い)の尻と路面の境目のなくなる感覚は、はっきりとすごかった。滋賀県内、空しかないだだっ広い田舎の新道を走る車はほとんどなく、未来の車に乗っているようだ。現場でついた泥を洗車せずのジャガー車内、父とわたしはすっかり無言なのだった。

 

道路にまつわる思い出を30秒ほど走馬灯し、「父が道路舗装業だったので、道が良くないと気になります」と話す。ローソンの近くで老人が知人に声をかけられる。老人は声でIさんだとわかった様子。お二人の立ち話から推測するに茶飲み友達のよう。誘導してもらって市役所へ行く途中だと告げた後、Iさんは「お楽しみだね」と言い、「ね、いいでしょう〜」と返していた。ノーメイクの中年女性も80歳の老人からしたら若い女性ということになるんだろう。こちらこそありがたい。Iさんの名前を覚え、白杖老人の名前を聞いていなかった。名前を尋ねると「Aです」と。Aさん、覚えました。

おしゃべりしていると目的地の逗子市役所へ到着。市役所の少し先に図書館がある。Aさんは図書館にも行ってみたいけれど手前の踏切が怖いと言うので、「踏切、挑戦してみますか?」と勢いでお誘いする。しかし踏切は慣れた人と一緒に行くことにしますのでと辞退された。踏切は白杖の人にとって非常にハードルが高いことも覚えておこう。また会いましょうと市役所玄関でお別れ。

「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」は不思議な話なんだけど、Aさんを誘導する時間もわたしには不思議だった。銭天堂ではふしぎを買うのに50円や100円程度、安いながらもお金を払う。今日のふしぎはいくらだろうか?と金換算の想像をしながら「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」を急いで返却、本は借りずに自転車を止めてある場所まで小走りで戻り家路に着いた。

広告を非表示にする

死なないつもりの夏休み

f:id:bbky-zushi:20170907010502j:plain

今年の夏はひどく体調を崩して一時はどうなることかと思った。

いつも通り家事育児をこなすのが困難になり、40代後半の更年期の娘が母に甘え滋賀からヘルプに来てもらったりもした。77歳の母は喘息が持病なのだが、新しい処方薬が症状に合い60代のときよりむしろ元気で、止めるわたしをふりきって破れた障子を張り直すほどだった。

通常時の20%のエネルギー体となり下がったわたしは、自転車で10分の海、プール、日帰り旅行、好きな山登りにさえ行かなかった(ダンナが子どもを海に連れていった)。家の崖側の竹薮に葛のつたが絡まり放題で、日に日に景観がワイルドさを増していく。夏は1日に1m近く成長するといわれる葛のつるが竹薮より侵攻、フェンスをくぐり駐車スペースのマイカーに迫っても駆除もせず、ワイルドサイドに面した簡易縁側で涼む。猛暑日でも夕方には風が通る。茂みから♪ホーホケキョと見事なさえずりのBGMをうぐいすが提供、うぐいすは真夏もこんなに鳴くものなのだな。全国的には8月24日、27日あたりに小学生の夏休み終了の学校も多いというのに、逗子はぎっちり8月31日まで夏休みで、エネルギー不足の保護者には特に長すぎる。

 

何もしないで夏が終わり、ゆるやかに体調が戻ってくるのを感じた。友人に本のおすすめを求めると、友達A子が「買ったまま放置してた横尾忠則のエッセイを読んでいる途中なんだけど、やっぱり横尾おもしろいw」と思い出し笑い。『言葉を離れる』推してくれる。「今、横尾かぁ~」と拾いにくいボールを投げられた感じだったが、A子がにやにやするほどの読後感に釣られ横尾を読むことにする。本、音楽、深煎りコーヒー豆、パン、人、の好みが近いA子のリコメンはわたしにとって当たりが多い。

10年以上前、東京都現代美術館での横尾忠則展とトークショーをA子と見たこともある。確かわたしたちは客席の中段中央あたりの席で、横尾さんが1万枚以上収集中の滝のポストカードとタカラヅカのプロマイドに夢中という話を聴いた。A子はわたし以上に横尾ファンで、トーク終了後の質問コーナーで大胆にも挙手「今、横尾さんが楽しいことは何ですか?」という真に知りたいことでありながら展覧会とは関係ない質問をし、横尾さんからのドライな回答に肩を落とした記憶が呼び起こされる。

『言葉を離れる』はA子が読み終わり次第貸してくれる約束になったのに待ちきれず、とりあえずの横尾として『死なないつもり』という最新の新書を読み始めた。『死なないつもり』がもう爆笑! 電車移動中読書にもかかわらず何度も吹いてしまう。A子のリコメンは今回も大当たりだ。

一番笑ったのが第3章「毎日が仏教世界」の132P、横尾さんが足の骨折入院生活中に病院内コンビニで購入した週刊誌のゴシップを楽しんでいた話。ベッキーの不倫騒動スキャンダル記事を“自分がベッキーだったら”→“このまま引退”or“しばらく謹慎して復帰”or…と、自分の身に置き換えて想像してみていたという。横尾さんがマルセル・デュシャンでなく、ベッキーにも飛べる自由さ!  禅や瞑想や精神世界への興味について書いていた昔の感じとだいぶ違うことを80を過ぎ平気で書いている横尾さんにお~いと呆れ、自由さに50倍魅かれ、明るくゆかいな気分になる。『死なないつもり』をA子におすすめし返したら、横尾さんの自由さを同じく楽しんだものの、わたしほどには爆笑できなかったと言われた。何事も受け手側の体調やタイミング次第な部分は大きい。ちなみに『言葉を離れる』は爆笑するおもろさではないけれど、仰天エピソードと独自の思想が満載でおもしろい。体験も著述もやりきった上での「言葉(追体験)より体験が上回る」に説得力がある。横尾さんのように三島由紀夫とUFOを呼んだり、ジョン&ヨーコのホームパーティに呼ばれるミラクル体験は今後きっとなく、横尾さんの追体験がわたしの実体験をどうにも上回る。けれど、しょぼい自己体験も否定せず大事にしまっておこう。

そして8月末からいきなり秋めいた。夏中一度も作らず飲みたいとも思わなかったお味噌汁を、肌寒いくらいの朝に美味しいな~と味わう。うちでストップさせている回覧板を今日こそは回そう。 

 

広告を非表示にする

『はだしのゲン』と不鮮明な平和

f:id:bbky-zushi:20170812140741j:plain

息子が学校の図書室から『はだしのゲン』を借りてきた。小学生時代に通過儀礼として『はだしのゲン』を体験するのは、2017年も未だ続いているようだ。

わたしも小学校の図書室で読んだ。被爆の凄絶なシーンに恐ろしくなったことだけは憶えている。そのショック強度だけが残り、肝心のストーリーを憶えていない自分に残念なショックを受ける。

 

約40年ぶりに1巻を読み終え、続きを読まずにおれず市の図書館でごっそり全巻借りてきた。ゲンのお父さんやお母さんよりも年上である現在のわたしが『はだしのゲン』を読む。

原爆が投下された街の人々の熱で溶けた身体や、死体がうじ虫で埋め尽くされるシーンに小学校のときと変わらずCG以上の恐怖を感じ、リアル画ではない絵柄でこれほどまでに残酷さを伝えてくる作者の手腕に驚く。作者の中沢さんはやはりとんでもなくすごい!

父、姉、弟、を原爆投下日に失い、その後、母や友も失っていくゲン。戦争への怒り、憎しみをごうごうと燃やしつつ、周囲の人を元気づけて生きぬこうとするゲンに胸を打たれた。小学生の読書時はゲンの魂の素晴らしさまで感じていたかどうか。

興奮の延長ではだしのゲン わたしの遺書』を合わせて読んだ。『はだしのゲン』は中沢さんの自伝をベースにした作品だったと知る。

中沢さんは、広島で見た光景、瞬時に激変した街、大勢の丸焦げ死体の重なり方まで何もかも鮮明に脳に焼き付き忘れられないのだという。父親日本画家で絵心を引き継いでいたとはいえ、当時6歳(小1)だった中沢少年の脅威の記憶力に驚かされる。辛さのあまり忘れようとした方、思い出さないように過ごした方も多かったと聞く。想像すべきことだが、きっと全く違うのだろう。要するにわたしにはこれまで鮮烈な体験はなかったということだ。中沢さんは実母の原爆症障害による死をきっかけに、封印していた怒りをマンガ執筆にぶつける決意をされたのだという。今は『はだしのゲン』を読めることに感謝しかない。わたしは日本人が反戦を訴えるのに「NO WAR」となぜに英語?などを気にするくだらない人間だったが、今後ははっきり反戦でいく!

と、このように「はだしのゲン」に没頭できているのも、子どもたちがダンナの実家へ夏休み帰省して不在だから。

 

図書館に本を返却しに行く途中、亀岡八幡宮に立ち寄る。逗子駅周辺に喫煙所がない一方、この神社にはスタンド灰皿&ベンチが5セットほど設置してあり、杜の中でのびのびとタバコを吸える喫煙者に手厚い神社なのだ。鳥居付近で一服しているとS君が通りがかった。今春から中1になったS君から会釈され、「久しぶりー!」と返す。「ここで何してるんですか?」と質問され、「休憩」と答えた。

 

S君は息子が小1のときに一番仲良くしていた年上の友達で、週2~3うちに遊びに来ていて、たまに昼ご飯や夕飯も食べて帰っていた。一日だけうちにお泊まりしたこともあった。小1と気が合う幼さがある小4なので、風呂上がりのS君の髪をわたしがドライヤーで乾かしたりもした。

S君の父が片時もビール缶を離さないアル中ながらに心底子煩悩な漁師さんで、S君の帰宅時間の連絡をとるため、わたしが連絡をとった最多回数保護者もS君のお父さんであった。ひょんなことからS君父子と鎌倉を半日一緒にぶらぶら散歩したことがあって、そのときお父さんは「あんのやろ~ばかやろ」を50回ほどつぶやきながら、S君を心配している様子がおかしくてしかたなかった。

そのお父さんが昨年、突然の脳内出血で亡くなった。S君が小5になってからぱたっと遊ばなくなり疎遠になっていたが、あのお父さんがあの世へ行ってしまったことがとてもさびしかったし、気になっていた。

S君は元気で、小学校ではバスケをやっていたけど中学の部活ではバレー部に入ったこと、お母さんも元気なこと、夏前に駅の反対側の団地に引っ越ししたことを告げ、神社にお参りして去っていった。引っ越した先は、S君が親子3人で住んでいたアパートより広いと話していたし、心配しなくてよさそうだ。

鮮烈とはほど遠い、ただふわっと心がゆるんだ一日。数年後はきっと思い出せない。

広告を非表示にする

2017年の♪スニーカーぶる〜す と「すち子」

f:id:bbky-zushi:20170424174836j:plain

夕方に「宿題あるんじゃないの?」と何気に声をかけたら「おかあさ~~ん~~~ッ!その言い方やめてよ!」いきなりたーくんがキレる。は?

「じゃないの?ってさぁ。ヤなんだよ。やってほしいなら宿題やってとか言ってよ」…ムズい。

日曜早朝「おにぎりの具、何?」と訊かれ、「お味噌(甘味噌)」と答えた。「また味噌ってさ~~。ヤなんだよ。」と、たーくん。「飽きてんだよね、わかんない!? 別の具にしてよ!いくらとかぁぁ~!!」と、わーくん。野球弁当用のおにぎりの具に強いクレーム。いくらて、ムズい。わたし入れたことないし。が、トゲトゲしてる子に対しては大人が冷静に振る舞う必要がある。クレーマー対応でハゲそう。

 

入浴後、たーくんが冷蔵庫から牛乳を取り出して飲む。わーくんも続いて飲もうとしたら牛乳パックが空っぽ、「おまえはどうしていつも自分のことしか考えてないんだよ!?」こいつらいつまで毎日ケンカするんかな。息子よ、早くパンツをはけ。というか、こういう息子らにいい加減わたしが慣れろ。

再度冷蔵庫をのぞいたわーくんが「ない!ない!ない~!」とさらに絶叫。間の悪いことに、前日残しておいたコンビニスイーツのティラミスがなくなっていることに気付いた様子。怯える。わたしが食べてしまったのを買い直し補充しておくつもりが忘れた。 「お母さん、ひどい!。謝ってよ!」たーも攻めてくる。ふたりの怒りの矛先がわたしに向く。えっとこういうときはどうすればいいんでしたっけ。

いい感じに謝れず逆ギレし外へ出る。くそ。あてもないまま歩いていると「おかーさん、どこ行くのよ?」とパジャマ姿のたーくんが追ってきた。なぜだかわたしは履いていた右足のスニーカーを靴飛ばしした。スニーカーがびゅーんと飛んで10mほど先に落ちた。「おかーさん、何してるの?」やけくそで残りの左足のスニーカーを土砂崩れ防止コンクリート擁壁に向けて思いきり飛ばす。スニーカーは「バスッ」とコンクリート擁壁にぶち当たった。ダサい。 「おかーさん…靴下のままでいいの…?」。良くはないし、靴下のまま道路を歩いているところを交流の無い隣人に見られた!ベイビー、スニーカーぶる~す! ジグザグザグジグザグジグザグ!

 

わーくんの春休みの強い希望が第一に「たーと一緒に過ごしたくない」で、わーくんは父親の現住まいである東北実家へ帰省。たーくんとわたしのペアは数日滋賀の実家へ帰省した。母子ふたり行動と決まって即、わたしはスッチー座長回のすち子新喜劇@なんば花月のチケットを予約した。もはや全国区で有名になった「すち子」は身長158cmという小柄な芸人すっちーの女装キャラで、芸の中でおばちゃん女装はズルいと言われてもわたしは好きだ。きちんと見たのは最近で世間から相当出遅れているはずだが、DVDですち子新喜劇を予習してふたりウキウキ出かけた。

4月4日のお昼の回、新喜劇は「すち子の、花月健康ラ・ラ・ランド」の上演だった。すち子さんは花月健康ランドの従業員設定で、すち子さんが自分勝手に振るまいまくり、ばんばん毒を吐くのがおもろい。かわいいおデブさん・酒井藍ちゃんが便乗してのほほんとしたムードでひどいことを言うのも、おもろかった。おばちゃん設定に反するキレキレの動きを見せることで、すち子はほんのりお化けか妖精のような魅力もまとい、吉田裕との乳首ドリル芸は神々しくさえあった。たーくんは身をよじって笑っている。わたしも手放しで笑った。ゲラゲラ笑う自分にまだ神経衰弱していないと安心を得る。

大阪の変なおばちゃん・すち子があかんことを言い、ひどいことをすればするほど観客は喜ぶ。負の価値の反転、善なり。これを日常に当てはめるとするなら、わたしがもっと強烈にはっきり変になってしまえば良いのか。靴を飛ばす変なおばちゃんを肯定できる道を見つけたい。

お決まりのすち子の飴ちゃん放り投げ。我々の席は1階M列で、今回、最も遠くまで届いた飴がL列、たーくん目の前の子がキャッチし飴ゲットならず。俺たちはまだ青春知らずさ!

広告を非表示にする

この世界の片隅に『タッチ』と「ポール」

f:id:bbky-zushi:20161215140723j:plain

おかげさまで気がくるう前に事態は収束した。

小3の双子は1年ほど前から二段ベッドで眠る習慣になっていたのだが、10月中旬からわたしをはさみ双子と3人で一緒に寝るスタイルに退行させてみた。川の字寝はダンナの発案。川の字で並ぶと1年前より確実に狭くなった布団、定位置は布団の右側がわーくん、左側がたーくん。ふたりとも一度片割れが眠った場所を嫌がる。「おまえ、場所広く取りすぎだろ!」右端、左端ぎりぎりに寄るよう互いに注文をつけ、不満げにふたりは布団に入る。なのに川の字寝にしてから、穏やかに起きる朝が続いている。ひとつの布団に一緒に眠るだけで息子の情緒不安定を軽減できたのかは不明だが、効果はあったのだろう。6帖の和室は二段ベッドの脇にセミダブルの布団を敷くとぎちぎちだ。


耳をつんざく双子の絶叫が通常ボリュームに戻ったのが作用して、わたしの体調不良は良くなった。電気つけっぱなしの寝落ちが減り、延滞していた図書館の本を返却する。マンガ棚に全巻揃いの『タッチ』を発見、借りる。実は『タッチ』を通してマンガで読むのは初で、むちゃ引き込まれて読んでいたら、息子に『タッチ』を奪われた。あだち充先生の名作は小3にも響き、虜。親子で同じマンガに夢中になる時期到来。どころか、わたしより先に2巻3巻と読み進んでいく。登校前に朝『タッチ』、夕飯を食べ終わると食後『タッチ』。「もー、早くお風呂入って!出てから続き読みなさい!」と注意して、やっとお風呂に入り、タオルで体を拭くのも早々に飛び出てきて、ほかほか全裸『タッチ』。男児双子がちんこ丸出しで『タッチ』を読む図は相当に妙味ありで、当人たちは気付かないおかしみをコーヒーとともに味わう。太り気味で段腹になった裸でマンガを読みふける丸坊主の息子と稲垣足穂のふんどし一丁執筆姿を勝手に重ねてひとり笑いながら、一応親として「パンツだけでも履こうよ」とひとこといっとく。

時期同じく、ユニフォームの洗濯にまいっていると書いた前回のブログを読んでくれた球児の父である高校の同級生が、「どろんこ野球のユニフォームの洗濯にはこの激落ち洗剤がいいよ!」とFBでおすすめ洗剤を教えてくれた。この酵素配合のバイオ濃厚洗剤ポールのつけ置き洗いが、感動にうち震えるほどどろ汚れが落ちる。白がまぶしい! 1時間ゴシゴシたわしと手でこすり洗いをしていた虚無感よ、さようなら。

 

「おかーさん、メッセージ読んで」と、気がくるいそうだった夜にわーくんがわたしのスマホにテキスト入力してくれた。「オレもわるかったよ。だからぢぶんをせめないで。」。ぢぶん、間違ってるけど...突然向けられた息子のやさしさに驚きながら「ありがとう」と伝えた。lineをわかっていないわーくんはわたしが送るメッセージ画面に入力したのでテキスト保存してある。

たまたま、わたしの地味な日々は地味なまま今少し良い。ここのところ、映画『この世界の片隅に』がさかんに話題で、もちろん見たい。というこの瞬間もこの世界の片隅の片隅にいる。

広告を非表示にする

へびおばさんが作るハヤシライス

f:id:bbky-zushi:20161110150517j:plain

ガッシャーン! 9月のある日の夕方、鎌倉からの帰り道、クロスバイクで思いきり転倒。

アスファルトの轍とヒビが融合した場所にタイヤがはまり、「まずい」とよぎった直後の惨事。3秒間は脳がショートしたように視界無し、自分がこけたこともわからなかった。右ひざあたりの激痛で正気に戻る。そろっと右足に力を入れてみると動いたので骨折してはいないと判断。しかし強烈に痛い。わたしはずずずと蛇な動きで這って道路の端に寄った。楳図かずお『へび少女』のへびおばさんやん。

そこに、派手な転倒音を聞きつけた道路前のお宅の住人が駆け出てきてくれた。推定80代・160cm越えのすらりとした白髪老婦人。おそるおそるスボンの裾を上げると、膝の皿から3センチ下がぱかーんと開いている。白目。「大丈夫? これ使って!」白髪老婦人がロキソニン湿布と絆創膏を差し出してくださり、黒目に戻る。「本当にありがとうございます」厚意に応えつつ、絆創膏は肉の裂け目から少しずらして貼る。

外科へは、自分で車を運転して行った。病院までの往路、激痛激しく屈伸操作あやうい右足で事故らぬよう細心の注意を払う。無事に到着。やればできる子、YDK。その前に、自転車転倒する前に少し注意を払っておけば、今、運転中に細心の注意を払うこともなかったのだ。結局、8針縫った。

 

夏休みくらいから、前にも増してうちの双子のキレる頻度が高くなった。一週間のうち6日、または7日(つまり毎日)朝5時起床直後の第一声から「ちょー最悪~!」不満主張が発せられる。毎朝、双子のうち片方の機嫌が悪く、八つ当たりされた方とケンカがはじまる。体がぶあつい息子の5時の叫びはフルボリューム、だいぶ前ニュースになった騒音おばさんより音量大のデシベルで、この騒ぎでご近所に通報されないことを不審に思う。「まず落ち着きなさい」沸いている小3男子を穏やかに制して収まるわけもなく、叫ぶ子どもに馬乗りになり「落ち着きなさい!」結局はほぼ脅しになっている。誰か、馬乗りになってるわたしに「あんたが落ち着きなさい」とつっこんでくれ。

「おかーさん、気ぃくるいそう」絶望のあまり、こぼしてしまう。たー「わーくんが大声出すから、オレの気がくるう」、わー「たーくんとおかーさんが言い合う声で、オレの気がくるいそう」、この先3人もれなく気がくるう。

 

足の傷の抜糸が済んでホッとしたころ、ダンナが逗子に数日戻る。現在、東北で暮らしているダンナは1ヶ月に一度逗子に来ている。わたしにはめずらしく、最近ひどく疲れていることをストレートに伝え、晩ご飯調理を頼んだりした。足をけがしたことはなんとなく話さなかった。

日曜、少年野球の練習から戻ると、子どもとダンナは飲み物とつまみを用意して「探偵!ナイトスクープ」を見はじめた。初代・歌のお兄さんに50年焦がれ続けている50代の依頼者男性が、その歌のお兄さんに会うネタの放送を、「ヤバい」だ「キモ~」だの言い放ちながらだらだら見ている。TVを見ている3人を見やり、わたしは夕飯の支度に戻る。子どもたちにとっては、このたわいのない時間がリラックスなのかなぁぁぁぁあああ。手がかからないわりに喜ばれるハヤシライスを作ったら喜ばれた。やればできる子、YDK。汚れた野球ユニフォームの洗濯は、わたしがやるしか。ウタマロ石けんをもってしても落ちにくい泥汚れに挑むにはエネルギー不足を感じているのに。うー、やればできる子、YDK!

広告を非表示にする

穴あきの日々をほどく

f:id:bbky-zushi:20160402125850j:plain

小2息子の長ズボンの膝や尻に空いた穴や破れの補修に追われる日々。つぎあては貧乏のマンガアイコンな上、2016年においては目立つため、穴の裏に当て布をし破れた穴の周囲をかがり縫いする手で対応している。かがり縫いの跡が、わたしの技量も響いて十分貧乏くさい。手縫いは苦手で1つの穴を補修するのに30分ほどかかってしまう。わたしの人生にズボンの穴を補修する時間が積もっていく。
精神科医の宮地尚子さんの『ははがうまれる』というエッセイの「ほどく」という1編をふと思い出す。宮地さんが実際に編み物をほどくワークショップに参加した経験から、作る・生産する方向でなく、日々のもろもろをほどきゆるめる感覚の大切さを見直すことができるのでは、という考察に魅かれた。日常をほどくのは簡単ではない。だからこそ比喩でなく“ほどく行為”によって心がほどかれる気がする。手元にほどくようなニットが見当たらない。

 
数ヶ月前から、双子の片方が学校でカッとなった相手に手が出て問題になっているらしい。担任の先生の話では、口ゲンカでウィークポイントを責める言葉で負けてしまう相手にうちの息子の手が出るのだそう。数ヶ月前から、いくつかの理由でダンナと別居して暮らし始めた。まず息子の暴行と父親との別居との因果関係が疑われるが、そうであったとしても同居状態に戻してはあげられないし、さて。

強く押したり、ひっかいてしまったり、顔を蹴ってしまったりと、今年に入って4度、痛い思いをさせたクラスメイトのお宅へ息子とふたりで菓子折り持参で謝罪に行った。こちらの落ち度をただただ深くお詫びしたけれど、そのうち2度は相手のお母さんが真顔で怒りに震えていた。「うちでは一度も子どもに手を上げたこともないのに」と。毎日毎時間ケンカ激しく、わたしもビンタをくらわしているうちの双子に、どう教えれば手出ししなくなるのだろうか。適当な言葉が見つからない自分が情けない。服にどんどん穴が空き不器用に補修している行為と、今の生活がほぼ一致しているようで気持ちが落ちる。穴の補修から離れてニットをほどきたい。

 子ども不在の平日の午後、所用で名古屋から上京する友人男子と、普段のA子&E子と会う約束をした。諸事情により場所は台場限定だが、夕飯には早い時間から会える。わたしは潮風公園でキャッチボールをやろうと提案した。意外にも全員いいね!の返事。ダンナが置いていったグローブと、わたしが自分用に購入した新しくてまだ堅いグローブのふたつを持っていく。昨年末に学校の少年野球チームに入団したばかりでド下手な子どものキャッチボールの相手を、たまにわたしがやっている。

友人男子が「実はすこし前に捻挫した足が完治しきっていない」というのも構わず早速キャッチボール開始。どういうわけか数メートル先で林家ぺー・パー夫妻が撮影しているのにも構わず、キャッチボール続行。全身濃厚ピンクの夫妻が寄り添うあまり、ひとつの固まりのようだなと白球を追う横目でちらり。気分上昇。男友達はさすが少年野球経験者で安定の送球&キャッチをしてくれる。おかげで、こちらが未熟でもほどほどのキャッチボールになり、短時間で少し上達。相手の投げた球を受け、自分が投げた球を相手が受けてくれる。互いが受容を繰り返す。ボールを交す度、次第に心が晴れていき何かがほどけた。今回はキャッチボールの相手が好きな友人ばかりだし、さらに動作でも肯定を伝え合えるのがたまらない。ポカリをぐびぐび飲むわたしに、お茶を選んだ友がポカリだったわ〜と笑う。我々が肯定しあう芝生、その名も「太陽の広場」を、海、レインボーブリッジ、東京タワー、ヒルトンホテルが囲む。この絶景広場がめっちゃ空いてるよ~!

今よりたくさん息子とキャッチボールをしよう。穴を補修する気力も少し戻った。

 

広告を非表示にする

町田氏とこたつとわたし

f:id:bbky-zushi:20151126212331j:plain

昨日までの長袖1枚の陽気から一転、いきなり気温が下がり寒い。そのうえ小雨が降っている。晴れていれば自転車で坂道を急降下し、急げば自宅から逗子駅まで5分のところだが、雨のなか20分ほど歩いて駅へ向かう。

 

9月から河出書房新社のHPで無料公開されている『宇治拾遺物語』「こぶとりじいさん」の町田康による現代語訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」を読み、そのくずし方の妙に爆笑、町田康著作を熱心に読み始めた。以来毎日、何を置いても町田康を読む時間をかすめとるほどの、はまりよう。魂の飛び込みよう。

だだはまりにより、これから、NHK文化センター青山教室の一般公開市民講座『人間を考える~表現するこころ~』町田康さんの講座を受講をしにいくのだ。受講料、一般3.888円はネット決済済み。


JR横須賀線3番ホーム上り電車に乗るべきが、隣4番線の下り電車に乗っていた。東逗子駅で急ぎ降りた。普段通りでいたつもりが心躍っていたのか。横須賀線の半分が逗子駅止まりで、東逗子駅には一度しか降りたことがない。次の上りが20分以上来ない、すかすかの運行ダイヤ表を見つめる。東逗子きつい。結局、計40分もロス。このドジで青山ウィンドウする時間はなくなり、青山一丁目駅直結の新青山ビル西館4F・NHK文化センターへわたしも直結する。

 

講座開始15分前、初めて足を運んだNHK文化センターの受付にいくと、既に入室のためできている列に並ぶよう指示される。15分前では遅かった?と反省した瞬間、町田氏がわたしの前を右から左、前室方面へつっきっていかれた。薄いグレーのジャンパー着用の70代男性と、その後ろに並ぶわたしの隙間を通り抜けたのだ。前の70代男性と通り抜けやすい距離を空けていた自分をほめたい。

教室を見渡すと、席は4割埋まり、演壇から向かって真正面と右サイドは既に最前列~4列目あたりまで女性が陣取っている。初老の男性方は、教室の真ん中から後列に着席していた。一つの机にふたつ椅子があり、1人分空いている場所はちらほらあった。相席を申し出ることはせず、録音係の機材近く、空いていた左サイドの最前列に着席した。席にて落ち着いて待つ。演壇の右に2本マイクが設置されており、左には500mlペットボトル相当のガラスの水差しと、ミニタオルのおしぼりが置いてある。で、実はマイクが受講者の視界を遮る。いいんですか?貴女方より後にきたわたしが視界を遮らないガラスの水差しサイドで!? 口角がほんのり上がってしまう。

 

NHK文化センターの人がわたしの目の前で、これから始まる講座の簡単な説明をした。そして町田氏が登場、わたしの机の横を通路として演壇へ。口角がぐーんと上がってしまう。

町田氏の装いは、左胸にヴィヴィアン・ウエストウッドのブランドロゴ地球ワッペンが付いた、くすんだエメラルドグリーンのセーターに、色落ちした穴空きデニム、ヒョウ柄のスニーカー。入室前につっきられたときにもう見たけども。

今回の講義は「表現するこころ」のテーマから、自身の創作について、随筆・小説・古典翻訳、できればほかについても語りたいと町田氏から前置きがあった。いきなり『テースト・オブ・苦虫』から一編の朗読が始まる。迅速なサービス。町田氏は朗読中(少なくとも客がいる前では)、メガネをはずし、裸眼にチェンジ、両手でなく左手だけで本を持つ、ということが知れた。瞬きも惜しんで見ちゃって目がドライになってきたので、目を閉じてみた。自分だけに読んでもらっているような心地。この教室がとても温かい。こたつで、町田康がわたしに朗読を聴かせてくれている。。。ちょっと眠いわ。あかんあかん!

入室時にもらったA4サイズの紙裏に、スケッチをばすることにした。

 

前髪は口もと近くまでの長さのワンレン。でも耳の後ろからサイドは段になっている。顎のラインを描くとまるくなった。まるすぎで描き直し。また描き直し。見たまま描くとまるくなる。鼻筋は高く、話す調子に合わせたまにしわが寄る。鼻先はわりと団子的ボリュームがある。口は…ドラ猫のような口元だ。口角やや下がり気味、ほんの少しのひげあと、唇はやや乾燥しつつもガサガサではない。メガネの奥の目、目の周りのしわがほとんどない。受講は講師を見つめていい場だが、スケッチとなると躊躇なく存分に細部まで凝視することができる。うまく描けてもいないが楽しい。描き描きしているうちに、講義が町田康作品の肝である「非現実的ぶっとび飛躍と、現実のつなぎ方」という、きわめて興味深い内容に突入した。と同時に、髪をかきあげた拍子に町田氏の左横の髪が一部元に戻らず、ゆかいな角度に浮き上がったままになってしまった。視力と聴力のせめぎ合い。

 

この先、こたつでみかんを食べたり、コーヒーを飲みながら、町田氏の話を聴きながらうたた寝する可能性はあるだろうか。町田氏とこたつとわたし。 最前列真正面で目をきらきらさせていた、ショートボブ黒髪地味めのパンツスーツ女性の手が、ずっとお祈りポーズになっていて。この人も町田氏とのこたつを願っているんだったら、かぶってる。うくく。

 
広告を非表示にする

総白髪の老婦人からいただく雪の宿

f:id:bbky-zushi:20151104025042j:plain

今住んでいる地域の自治会は、引っ越ししてきたばかりの家がご近所と顔見知りになる目的で、区の班長をいきなり務める慣習になっている。ちょうど3年前、引っ越し当時に前任班長だったKさんが、うちに班長の順番が回ってきたことを伝えにいらした。

Kさんは、うちから少し坂を上がったところに独居されている当時84歳、現在87歳のご婦人だ。「地域に慣れないうちは大変でしょうから、わたくしで良かったらなんでも聞いてくださいませね」と、寝間着同然の服を普段着にしているわたしには申し訳ないくらいの上品で親切な言葉をかけてくれた。Kさんと数分立ち話をするうち、上品さのなかにどこかふわっとユーモアが臭った。

Kさんはいつお見かけしても総白髪をきちんとセットされ、服装はブラウスにふくらはぎくらいまでの丈のスカートという、ひと昔前の崩れていない先生ファッションで背筋ぴーん。ずいぶん前から今も自宅で子どもに書道教室をされていると伺い、さもありなん。初対面のインスピレーションから、隣近所以外に引っ越しの挨拶まわりのときに、両隣3軒以外では、10軒以上先のKさんにだけ挨拶の品を持っていった。そんなきっかけから、Kさんから子どもにお菓子をいただく、こちらから旅の小さな土産をお返しする、などのじわっとした交流が続いている。

 

つい先日、Kさんにダンナの実家から送られてきたラ・フランスをおすそ分けしにいった。夕方7時半ごろのアポなしピンポン。Kさんは、毎度ながら家なのに家着でない。白いブラウスにベージュのカーディガン、下はスカート姿であった。ただその日は左半分の部分入れ歯をはずしていた。テーブルの上の皿にはずした部分入れ歯が見てないふりしながら見えた。

Kさんの書道教室はお菓子を用意するスタイルだそうで、「最近の小学生はお菓子の好き嫌いがあって難しいのよ~、あ”?」これは既に何度か聞いた話なのだが「あ”?」がおかしい。「って、どうよ?」的な迫り方のときに、Kさんはたぶん無意識に「あ”?」を発語する。この「あ”?」に、他の人がどう注目しているのか気になるところだ。残念ながら共通の知人がいないので確かめようがない。

この日は入れ歯をはずしていたタイミングでリラックスされていたのか、玄関での世間話がはずんだ。「わたくしね、老人ホームに週1回お習字を教えに行ってるんですけれどもね」新しいネタである。「90歳くらいの人がみんな何のおしゃべりもせずじーっとしているのよ、まるで植物みたいに、あ”?」「わたくしも、もうすぐあんなふうになっちゃうのかしらと思うと、あなたはまだ若くていらっしゃるからねぇ〜、あ”?」。高齢者が語る超高齢者問題がスリリングな上に「あ”?」が斬新すぎる。長野で始まった「PPK」=「ピンピンコロリ」という病気にならずにコロリと死のうという運動についての話が続く。わたしは吹き出さないように気をつけながら拝聴する。明日の我が身を心配するKさんは、その後、よく出かける渋谷駅の乗り換えが複雑になった不満を話した。驚異的なかくしゃくぶりを確信する。

「ところで、ママ友とかはいらっしゃるの?」と、Kさんが不意に振ってきた。「あー、なかなかできないです」と、頭をかく雰囲気でへらへら答えると、「日中働いていらっしゃるんだから、難しいわよね」とKさんからフォローが入る。「あ”?」なし。

道教室の生徒が拒否して余ったという雪の宿せんべいと、不二家ホームパイをお土産にいただく。Kさんに元気でいてほしいと強く強く願う。

広告を非表示にする

生活テトリスと焚き火

f:id:bbky-zushi:20151101113906j:plain

冷蔵庫内に眠らせていた自作の干しぶどう酵母瓶の存在を、買ったドライ酵母を使ったことで再び意識した。半ば安置の領域だったが、処分の前に酵母の生死を確認しなくてはいけない。瓶をふってみるとしゅわっと酵母液は発泡し、匂いをかいでみると白ワインのような香りがした。生きていたのだ。腐っていないものは廃棄できなくなった。気温が高い日に全粒粉を混ぜ発酵種を作ってみると菌は無事むくむくと発酵し、その種でパン生地を作り捏ねさらに2度発酵させ、ブールという丸いパンを焼いた。

天然酵母パン作りは、2011年に思い立って干しぶどうで酵母を作ってみて以来、気がむいたらやる趣味のひとつだ。子どもは当時4歳で、世田谷住まいだった。子育てが落ち着きゆったりした気分になったからパン焼き始めたんだね、などと誤解されがちだが、そうではない。今もまるでゆったりしていない。パン作りはわたしが下手な分、失敗するどきどきもありの緊張感を伴った創作作業であり、さらにパン生地が視覚的にふくらむ、こんがりと焼けるという楽しい変化がある。家に居ながら、たった1日で紙粘土のような固まりからがらりと変化し完成させられるもの。同じく主食の白米が炊飯器で炊き上がった瞬間、今は何の心の動きもない。心も活動も動きの少ない日常の中、わたしはパンの完成に小さなカタルシスを得る。

 

日々の家事育児が襲う慌ただしさについて、「テトリスをこなしているようなもの」とある友人がうまいこといい表したことがある。仕事や雑事が多忙な場合もテトリス状態だとは思う。ただ単身だと一応は落ちものブロックのはめ方を予測しながらテトリスできるところだが、子どもがいると、いきなり予測していないブロックが高速で落ちてきやがる。平日なのに泥だらけにしてきたスニーカー、朝に発見したくしゃくしゃのプリント、子どもがらみの所用ブロックを処理している間に別のブロックが落ちてきて、それをくるっくるっと回転させてなんとかはめこめる対応をしていたら、さっき自分の計画で処理するつもりだった肝心なブロックの方がおかしな位置にはまってしまう。変な積み上がり方をしたままゲームオーバーにもならないわたしのテトリス。今日こそはと挑むも、処理しきれないブロックとストレスの両方がどんどん高くなる。

 

長野県安曇野にある、森のくらし郷という森のキャンプイベントに参加してみた。DIYで作られたツリーハウスが点在し、電気、ガス、水道を整備していない森で、水確保のためには湧き水を汲みに行き、薪を拾って焚き火で調理をする場所である。ここでの生活も普段とまったく別の創作活動である。いたるところ直火禁止で落ち葉で焼き芋もままならぬ昨今、山尾三省さんの「火を焚きなさい」の詩、“火を焚くことができれば それでもう人間なんだ”の思想に焦がれる部分がある。森のくらし郷(通称・森くら)では、みんなで薪を集めてきて、森の生活を熟知したスタッフの方に教えてもらいながら、子どもたちが燃えやすく着火剤となる杉の葉や白樺の木の皮から火を起こす。油が出る小さな実がついてる枝、名前を忘れてしまったが、これがまた良く燃える。細い枝から中くらいの枝、次に薪。少しずつ順々に燃え移っていく火。いつのまにか頬にすすをつけた子どもたちは、焚き火という新しい創作に夢中である。鉄の三脚についた自在鉤には、すすで真っ黒になった大きなやかんがぶら下がっている。わたしは自分もやりたいな、と思いながら魅力的な火を眺めていた。というか、このキャンプ参加費用はわたしが子にかけていた学資保険をひとつ解約して戻ってきた金から出したのである。

ゆったりと真逆の切羽つまったリアルが、火を見つめながら思い出される。何もここでそのマイナスを、と急いで頭から追い出す。2015年以降も、火を焚くことができれば人間でいられるのだろうか。やっぱ火だけじゃ無理ちゃうかな。ていうか、三省さんだってネタを膨らましたのでは…? と邪推したり。みんなが火を囲んでわいわいしているなか、耳を澄ませたときだけ、焚き火がぱちぱちぱち立てている音が聞こえる。

 

 

広告を非表示にする